『鍵のかかった文芸誌』にて、小説『アイドルの教育係』寄稿

インデペンデント出版の『鍵のかかった文芸誌』という本に小説を寄稿しています。小説は前から書いていましたが、きちんと出版するのは初めてです。

『鍵のかかった文芸誌』のコンセプトは、それぞれの作家が自分自身における深い問題、鍵をかけたくなるような問題意識を題材として小説を書く、というものです。僕以外には起業家、タレント、詩人、ゲームシナリオ作家、そして物流業社の職員が、有名無名を問わずそれぞれに作品を寄稿しています。

僕がテーマに選んだのは「ゴーストライター」です。ゴーストライターは、ニッチなビジネスであり、日常では表面化しませんが、いわゆる職業的ライターにとっては公然と行われているビジネスです。ゴーストライターは、言葉の職人として、著名人に成り代わって文章を書くことを生業とします。

ゴーストライターは、この社会、メディアのいかなるところにも存在し、人知れず大衆の意識、考え方に非常に強い影響を与えています。たとえばアメリカの前大統領のドナルド・トランプにもゴーストライターがいますし、巷にあふれる起業家によるビジネス書にもすべからく、ゴーストライターが存在しています。それらの言葉は社会における影響力、著名人の言葉として、その膨大な数のソーシャルメディアのフォロワーを媒介に拡散されると、すさまじい力を持ちます。

ゴーストライター本人はまったくもって “透明” な言葉の職人です。彼ら彼女らは、クライアントの要求に応える文章を書くのが仕事です。これらの仕事は歴史を振り返っても行われてきたものです。たとえば、この世界でもっとも読まれている書物のひとつであるキリスト教の『新約聖書』も、キリストの言葉や奇蹟を、弟子たちがキリストの死後に書いた、という点では、ゴーストライティングです。

僕がこの小説を書く上で問題意識を持ったのは、ゴーストライターを通して見える、現代における「現実感の劣化」です。

これだけ情報が増え、その情報が消費されるスピードも上がると、僕たちはそれぞれの情報の本質、その情報がどのように生み出されているかについて関心を一切払えなくなる。言い換えると、僕たちは記号だけを消費するような社会に生きている。現代はもはや、現実と記号が一切区別できなくなっていると僕は思います。

ゴーストライティングは、実際には社会を少し変えてしまうほどの「力」を生み出し得るわけですが、ビジネスとして切り離されてしまうと、その力はライターにとって「案件」という言葉に置き換えられてしまう。さらに当のライターとしては自分のスキルを生かした “自分らしい働き方” もできる。

それらがひとたびベストセラーになれば、その本は社会の有り様を少し変えてしまう。僕は、この一連の、業界ではさして問題もないと考えられ、人知れず公然と行われている状況の中に生きる人が “見落としていること” を拾い上げ、物語にしました。そうしたことができるのは、小説しかないと思いました。

僕たちはフォロワーが多い人の発言、ベストセラーという言葉、有名な人の言葉、有名な人の推し、企業の名前、大学の名前、信頼する友人の推薦があれば、毒ですら喜んで飲み干し、歓喜し、涙を流すように調教されているのです。

そんな社会で、僕たちはリアリティと呼ぶにはあまりに薄っぺらなものを平然と消費して生きている。この危うさ、吐き気のするような気持ち悪さ、違和感を、この小説では描きました。

あなたがもし、この違和感を感じているひとりだったら、

僕がこの物語に鍵をかけたのと同様に、この本の鍵を開けてみてください。

【収録作品・寄稿者】

巻頭詩   黒川隆介

小説    『ロンドンペンギン』 神西亜樹

      『アイドルの教育係』 森 旭彦

      『謝るな』 関口 舞

漫画    『グッバイ・ローション』 ザ・花実

インタビュー 『なんでもない人』 田栗範昭 54歳

装丁    o-flat inc.

編集・発行 菊池拓哉

【概要】

ゴーストライター、タレント、詩人、ゲームシナリオ作家、そして物流業社の職員。

多様な今を生きる人たちに、SNSには書けない秘密でとっておきの小説や詩、漫画を寄せてもらい、鉄の鍵で閉じて本にしました。

【なぜ、鍵なのか。(本書編集後記より抜粋)】

満たされない心を言葉に変えて、世界に晒すことで安心したい私。

世間にそぐう自分であり続けるために自らを制御し、演じ続ける私。

昨日の正解が今日の不正解になるかもしれないこの世界に心もとなさを感じながら、かりそめの正解にしがみつくしかない私。

SNSによって言葉の拡散性が増し、隠れることよりも見つかることのほうが良しとされがちな現代にあって、私たちがありのままの私たちであり続ける余地は、思いのほか残されていないような気がします。

見知らぬ誰かから褒めてもらうことが明日の活力となることに気づいてしまった私たちは、いつからか自分を偽ってでも世界にコミットすることに慣れ切ってしまったのかもしれません。

それは、物語を紡ぎ、表現する小説家や漫画家、あるいはデザイナー、編集者も同様です。

だから私たちは、無制限に拡散するSNSとは対極に位置する箱として、紙の本を選びました。

世界におもねることなく、誰の目に支配されることもなく、私たちが「よい」と頷き合える物語と言葉だけを編み込んで、一冊の本に綴じることにしました。

この本に「鍵」をかけたのも、そんな私たちを取り巻く現状に対するささやかな抵抗と矛盾のためです。

ここに閉じ込めた物語をできれば多くの人に読んでもらいたいという欲求と、わからない人には永遠に届かなくたってかまわないという意地。そんな相反する衝動に突き動かされた私たちにとっては、「鍵を開けて・読む」というわずかばかりの障壁を乗り超えてくれるくらいの読者がちょうどいい。 そんなことを考えました。

ただひたすらに拡散と膨張を繰り返す外の世界とは一線を画した、閉じられた世界。その理想の世界を鍵という障壁によって実現したかったのです。

「鍵をかけて大切にしまっておきたい物語を書いてください」というお題のもとに、小説家と漫画家、そして詩人が、力を尽くした言葉を紡ぎました。ぜひ、鍵を開けて、とっておきの物語をご堪能下さい。

【装丁のこだわり】

本の中央を貫く鍵穴に、特注で制作したスズ合金の鍵を差し込むことで、外の世界から隔絶された物語の世界を表現しました。本を開く際には、鍵をくるりと回すと引き抜くことができ、外した鍵はスピンに巻き付ければ栞として機能します。

また、本文用紙には、収録されている作品ごとに異なる紙を使用。本文の文字組み、フォント、級数も、各作品で変化をつけ、物語の世界に最も適したデザインを追求しました。

出自も作風も思想も異なる作家たちの紡ぐ物語が、それぞれ独立したレイアウトと紙によって具現化された文芸誌。その雑多でバラバラな世界を貫き、束ねるのが、一本の鍵とひとつの鍵穴です。