地図を描く

Piero Falchetta, Public domain, via Wikimedia Commons

この地図は、15世紀のイタリアで描かれたものだ。描いた人物はフラ・マウロ。修道士であり、彼はこの世界を、ヴェネツィアにある修道院から一歩も外に出ること無く描いた。彼に地図を描かせたのは、修道院を訪ねてくる多くの旅人たちのストーリーだった。


晴れた秋や冬の朝が好きだ。きりっと冷えた空気の中にいると、気分が冴える。京都に住んでいると、山と関わることが多い。京都は四方を山に囲まれた小さな街なので、どこに行っても山が見える。山を散策して四季を感じることも多いし、鴨川沿いに住んでいると、雲のかかり具合でその日の天気がだいたい分かるので、山を見てその日の過ごし方を考える。

家族の分の朝食のパンを買い、家からほど近い川辺を散歩しながら、山の懐に満ちた霧の中を朝日が差し込んでいく様子を川から見ていた。

そんなとき、スマホに一通のメールが届いた。フランスのとあるスタートアップからだっだ。

こんにちは。

メールをありがとうございます。

私たちの新しいプラットフォームの代表に代わってお返事します。

ところで、このインタビューの機会はまだ有効でしょうか? CEOであり創業者との機会がアレンジできるかもしれません。

ご連絡ください。

よろしくお願いします。

少し前に、ヨーロッパで気候変動に対してアプローチする会社にいくつかインタビューのオファーを出していた。その中のひとつからの返事だった。

じつはこのインタビューは、僕のブログ、つまりこのウェブページに出すものとしてオファーしている。そして僕がインタビューのオファーを出している会社というのは、本来であれば、The GuardianやBBCといった超大手のメディアのジャーナリストが取材するような企業だ。そんな企業がなぜ、京都に住む僕のブログという、読者もほとんどいない場所に、目を向けてくれ、ポジティブな返事をくれるのか。

じつはこうした機会は今回が最初ではない。僕が今年の始めに書いた論文には、イギリスのBBCやイタリアの新聞社(もちろん彼はNY TIMESなどにも寄稿しているジャーナリストだ)、イギリスの出版社、アメリカのテレビに登場した経験すらあるWIREDのジャーナリストがインタビューに答えてくれている。

僕はこれらの機会を、たった一通のメールだけで手にしている(どうしたわけか彼ら彼女らはいつもメールだった。きっとみんなSNSが嫌いなんだろう)。何のコネもなければ、僕には名声もないし、おそらく誰にも期待されてもいないだろう。僕はいつも、僕だけの空を見て、自分の知りたいことだけのためにこの仕事(もはや仕事ですらない)をやっている。それでも、彼ら彼女らは、僕のインタビューに答えてくれ、素晴らしい話を聞かせてくれた。

アイデアさえ適切であれば、というより、「いま書かれるべきこと」が適切に考えられていれば、ひとは振り向いてくれる。たとえ何千キロ先の、言葉も文化も違う国に生きる人であっても――。

このブログは、僕のそんな日常を、自分なりにレコードするためのものとして始めた。それと同時に日常に放っておくと消えてしまうアイデアを、少しずつ形にするために書いている。まるで地図を描くように。

僕は京都の鴨川の右岸に住んでいる。近所の地下水を汲みに行くのが日課で、週末には猟師から鹿肉を買いに山奥のマーケットに出かけている。どこからどう見たって、ここは世界の辺境だ。かつて住んでいたロンドンのような街にこそ、世界の最新の知識があって然りだろう。しかし、どうしたわけか、この場所から、僕は世界の最先端にあるような知識にアクセスしている。僕の論文は現在、イタリアのとある研究機関のニュースメディアで紹介される予定だし、先日はBBCとも仕事をしている。

これらはまるで、フラ・マウロの地図のように、どこにも行かずに描かれたものだ。しかしそこには明らかな新しさがあることを僕は知っている。このブログはそのための記述だ。地図を描くような仕事を、ここでやってみたいと思う。

On the map森 旭彦diary