知の地図

Googleとバージニア州のJanelia Research Campusの科学者は、ハエの脳内の約25,000個の神経細胞をつなぐ2,000万個のシナプスを追跡した3Dモデルを公開し、あらゆる動物で最大の脳結合の高解像度マップを発表した(2020年)。

マイクロソフトの創業者であるビル・ゲイツのブログ、GatesNotesはどうしたわけか最後まで読んでしまう。とくに、「今年注目の5冊」などでここで紹介される本には目を通すようにしている。

いまとなってはおとぎ話のような話だが、ずっと遠くの蝶の羽ばたきが、こちらの国では台風になるだとかのたとえ話が子供の頃に流行した。ぼくはこの手の表現には目がなく、小学生の頃の作文などでよく引用していた(いまとだいたいやっていることは変わらない)。

後にこれは「バタフライ・エフェクト」と呼ばれるカオス理論の一種であることを知るわけだが、知識にはこれに似たような性質があると思う。実はぼくたちは、ひとりの非常に影響力のある人物の頭脳の中にある考え事が、遠くの国で経済バブルを起こしたりするということを目の当たりにしている。通常、これらはばらばらの事象としてしか理解できないが、実際のところはつながっていたりする。蝶の羽ばたきのひとつに違いないビル・ゲイツの本棚にいまあるのは、脳に関する新しい理論の本と、遺伝子編集についてのノンフィクション、そしてカズオ・イシグロだ。

一時期、80〜90年代の全盛期のビル・ゲイツのエピソードを本人と直接の知り合いから聞いたことがあった。オフィスで血を吐いて倒れているかと思いきや、マクドナルドのバーガーを食べて徹夜しているビル・ゲイツ本人であった話などをいつもGatesNotesに重ねて読んでいる。

今回の本は、脳の新しい理論について書かれている『A Thousand Brains: A New Theory of Intelligence』という本だ。この本は科学者に書かれたわけではなく、シリコンバレーにあるNumentaという、知性を機械的に再現することを模索するテック起業家の共同創業者、ジェフ・ホーキンスによるものであるというのも興味深い。

本書は『利己的な遺伝子』の著者であるリチャード・ドーキンスの巻頭言に始まる。それも「この本は寝る前に読むな。挑発的なアイデアが押し寄せ、眠れなくなるから」という言葉が添えられている。

「脳に対する新しい理解」と題された1章では、ホーキンスが読んだフランシス・クリック(DNA二重らせんを発見し、ノーベル賞を受賞した科学者)のエッセイの引用がある。1979年に書かれたそのエッセイには、科学者は脳を理解するために膨大なデータを収集し研究をしているが、ぼくたちの脳がいかにしてその膨大な情報から意味のあることをつくりだしているか、その仕組みに迫った者が現代でさえ存在しないことが「幅広い発想が欠けている」という示唆的な言葉で綴られている。ホーキンスが同書で回答しようとするのは、この、現代の脳科学(この言葉はあまり好きではないが)に欠落した、知性のフレームワークそのものについてだ。

知性や脳の仕組みを明らかにする科学者に惹かれるのは、僕たちのような仕事は、すべからく現在ある知性の構造をある意味ではハイジャックすることにその面白さがあるからだと思う。誰だって、自分の思惑を読まれているような小説や、既成概念をゆさぶられる体験をしてみたいと望む。そうした体験をしながら、それの逆をいろいろと画策している、そんな日々を僕は京都で送っている。

すっかり書評ブログみたいになってしまったが、今日は本来グッドニュースがあるのでそれについて書きたいと思っていた。

前回、イタリアのサイエンスジャーナリストのマーティンに企画を提案したが、彼からは快諾の返事があった。本来は12月中に、打ち合わせの予定だったが「お互い年末は忙しいね」ということで少し先延ばしになっている。年始はまず、この企画から進めていくことになりそうだ。

企画は『サイエンスジャーナリズムは、パンデミックから何を学んだか』といった内容だ。現在WIREDでも連載させていただいているテーマをアップデートする形で進めたいと考えている(こちらも完結していないので早く進めねば)。

ついつい忙しくなってしまうと、自分が本当に目指していたことが分からなくなってしまう。自分には、そのために文章を書くことが必要だと思っている。一度文章にしてしまえば、つぎはその終わりからスタートすればいい。地図が必ず、以前に歩いた場所が描かれていなければ、次の場所が描けないのと同様だ。

地図は発見と記録、両方の意味がある。

wired.jp「科学を伝える言葉」は、いかにインフォデミックに抗ったのか:サイエンスジャーナリズムからの報告者たち #1 #2 #3

On the map森 旭彦diary