「No」と言わない英国人と「おはよう」が言えない僕

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「そういえば、君の国の言葉も間接的だったね」

月曜日の眠たい目をした学生が並ぶ教室で、ロバートが僕を見つめて話す。彼はロンドン芸術大学の語学スクールの講師であり、青い目をした英国人だ。

「間接的だったね?」と言われても、日頃から直接的か、間接的かを気にして日本語を話してきたわけではないので「え?」と聞き返してしまう。人は言葉でできている、とよく思う。言語を学べば、その国の人がどのようにできているかが分かる。薄々気づいていたが、英国人と日本人は似ているところがある。たとえば、ものをはっきり言わないところや、少しまわりくどいところ、あと「No」を言わないところが。

遠い国の似た者どうし

ロンドン芸術大学に入学してからだいたい1ヶ月が経った。修士課程のコースへ進む前に、僕の場合は約3ヶ月の語学スクールのコースを受講している。約4時間の英語の授業が週5日あり、たっぷり宿題や課題が出る。英語でのプレゼンテーションやディスカッションなど、イギリスの大学院で必要になる基本的なスキルを集中的に学んでいる。

語学スクールで教えられる英語は、これまでに日本で学んできた英語とはまったく異なるものだった。その特徴は「学問として英語を学ぶ」ことだ。

たとえば話し方だ。言語はコミュニケーションのツールであると同時に、その国の文化でもある。ロバートに言われて改めて気づいたが、日本人は間接的な表現をよく使う。つまり直接的なものの言い方をしない。的外れなアイデアも平然と「独創的だね」と賛美し、考えるつもりがなくても「考えておくね」とにこやかに言い、もう会うつもりもないのに「またの機会に会いましょう」と愛想を振りまくのが日本人だ。僕の生まれ故郷の京都ともなると、その表現はもはや芸術の領域に達する。

とにかく日本人は「No」と言い切ることを避ける。相手を気遣う姿勢であると同時に、どこかはっきりしない印象も受ける。そうして僕たちは「察する」という感覚を共有することで、表現された言語以上のコミュニケーションを行う。

英国人というのは、そんな日本人に似ているところがあり、とにかく直接的にものを言わない。彼らも議論やビジネスシーンなどのフォーマルな場で「No」と言わないのだ。「Yes, but..」などが「No」の意味になる。「はい」と言っていながらも、butの後で本当に言いたいことを表明するわけだ。

ディスカッションで自分が何かアイデアを提示したとき、「Ah... Your idea is brilliant... I've never thought about that...(素晴らしいアイデアだね。これまで考えたこともなかったよ)」なんて英国人がにこやかに言っているときは要注意だ。たいていそれは本音じゃない。その後に続く「but..(でも)」や「however(しかし)」の後に彼ら彼女らの言いたいことがくる。

話を聞いてほしいときも「Everyone, listen to me(みんな、聞いて!)」なんてことは言わない。「If I might say a word here(ちょっと言わせてもらえると)」や「Could I jump in here a moment?(ちょっといいかな)」といった、回りくどく控えめな言い方をするとロバートは教えてくれた。

こうした英国人の作法を知らないと一体彼らが何を考えているのかさっぱり分からないし、議論の核にいつまでも入っていけない。なぜそんなにまどろっこしいことをするのか。日本語においてもそうであるように、それが彼らの話し方であり、流儀なのだ。語学スクールでは、ここまで知って、英語を学んだことになる。

とはいえ英国人は困り者でもあるようで、議論を始めたらのらりくらりと「君の意見は一理あるが、こっちのほうが…」「それもいいじゃないか、でもよりドラスティックに考えるとだな…」といった調子で議論が一向に進まないことがあるという。思えばそんなシーンにも、日本でよく出くわしたような気がする。

ロバートの同僚でカナダ出身の講師は、英国人と議論をしている最中にみるみる鬼の形相となり、突然机を叩き「で、結論は? 英国人!」と激怒したという。

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